2011年03月の日記 次の月

今朝、思ったこと。 2011/03/17[Thu] 22:19
今朝、地下鉄に乗っていたら、

車イスでいつも通勤している女性が

杖を付きながらヨロメキながら立って乗車していた。


その光景を見て、涙が出そうだった。


体の弱った彼女は頑張って通勤しているのに、

その一方、五体満足の自分はまだ何が起こるかわからないから

通勤したくないと精神的に弱音をはいていた。


それが彼女を見て、考えが変わった。



五体満足の自分たちこそ、弱音をはいている場合じゃなく、


ここは歯を食いしばって、この困難に立ち向かわないといけないのだと。



今朝一番、そう思った。




東北地方太平洋沖地震 2011/03/12[Sat] 23:18
久しぶりの日記更新である。

最近はツイッターでいろいろとつぶやいている分、
http://twitter.com/shenaringo_net/


こちらの日記については疎かになっていた。


ごめん。



で、昨日、発生した

「東北地方太平洋沖地震」

である。


150年ぶりの大地震。

この歴史的な出来事に日記を書いておかないでどうする?

っということで歴史的な記録として残しておく。

それも酒を飲みながら書く。

もしかするとこれが最後の遺言となるかもしれない。

西日本の方、後世までよろしく。



で、本題である。



はっきり言って、昨日、起きた地震はすごかった。

私は高層ビルの26階で働いていた。





午後2時46分。




まさにこの時間。

ガタガタと貧乏ゆすりのような小刻みの縦揺れが起こった。

一瞬、私は「なんだ?誰か貧乏ゆすりをしてるのか?」と思ったくらいだ。



しかし、次の瞬間・・・信じられないくらいの横揺れが襲ってきた。


ガターン。



ガターン。


ガターン。



近くにあった観葉植物が倒れだした。



ロッカーが揺れまくる。



ビル全体がぐらんぐらん大幅に横に揺れる。


「ついに関東大地震か!?」と思った。
(しかし、後で考えれば、直下型地震ではなかった。今回はプレート型地震だった。)


その後、地震は収まった。

すぐに今回の震源地を知るためにワンセグ携帯を発動させた。


地震の規模はマグニチュード7.9。
(のちにM8.8に)



震源地は岩手県沖。


震源地を見たときに、ひとまず東京は大丈夫だと思った。


そのまま情報を得るためにワンセグを見続ける。


そしてである。

余震が来た。

今度は縦ゆれは一切なしのかなり強い横揺れ。

またオフィスビルが長周期振動の影響で大きく揺れる。

この時、私は以前読んでいた漫画を思い出した。

古屋兎丸の「彼女を守る51の方法」だ。

これは都心に直下型地震M8が起きたと仮定した書かれた漫画である。

この漫画ではいろいろと大震災について対策が書かれている。


その時に一番怖いのは「余震」である。


必ず大きな余震が来ると書かれていた。




私はまた次も大きな余震が来るかもしれないと思い、

非常階段を使って26階から1階まで逃げ出した。


高層ビルから地上へ逃げるまではまさに大変だった。


まず疲れる。
そして時間がかかる。

結局、5分くらいはかかった。


その後、地震が発生してから1時間は地上で非難していた。


そして、ある程度、落ち着いてから26階に戻った。

これまた大変だった。


階段を下るよりも上る方が死ぬほど辛かった。
(現在、かなりの筋肉痛。)


10階ごとに休息をとった。


そしてなんとか26階についた。

余震はその後、何度も続いていたが、大きな横揺れはなかった。

逆に10分おきに高層ビル特性の長周期振動がキツイくらいだった。

まさに船酔い状態。仕事ができる状態では正直なかった。


その後、就業時間終了の18時に帰宅の準備をした。

また26階から地上1階への階段である。


これまた疲れる。


この時、金輪際、一生、高層ビルや高層マンションには住まないと誓った。

いくらお金持ちになったとしても万が一あった場合、しんどい。

特にエレベーターが停止し、さらに免振(耐震構造)による高層ビル特性の長周期振動が耐えられない。

本当に船酔いである。ツライ。つらすぎる。

私はとても三半規管が弱く、すぐにまいってしまう体質なのです。


遊園地にあるコーヒーカップ乗れません。


そこで、マンションを購入するなら、どんなに頑張っても2階までと決めた。
(現在、住んでいるのは2階)

また高層マンションは絶対に買わない。お台場、豊洲など埋立地には絶対に住まない。

今思えば、地震の少ない地域に住み家を持とうを思った。これが新しい夢(目標)になった。

博多などいいかもしれない。(福岡また四国は地震が少ない地域らしい)

今度、是非、旅行で見ていこうと思う。仕事も福岡で探そうかと思った。

林檎ちゃんの故郷だしね。


で、本題を戻す。

なんとかビルから降りて地上に戻ってきた。


で、ある。

通路に人がいっぱいいる。

これぞ帰宅難民、ハザードマップである。


まさに今、マスコミが騒いでいた帰宅難民が発生したのである。




リアルに。





人がみんな歩いて自宅に向っている。


それもそのはず。

午後6時時点ですべての電車が運転見合わせをしていた。

(のちに深夜0時頃に地下鉄や都営線などが復旧し、朝方まで運転した。
 JR各線は休日運休)


私の自宅は会社から歩って40分程度の場所にあるので、
歩って帰ることに決めた。


歩きながらツイッターで最新情報を得た。


今回、はっきり言って一番役立つツールは「ツイッター」だった。


電話、メールは規制で繋がらない状態。

しかし、インターネット(データ通信)は生きていた。


さらに「ツイッター」はサクサク動いていた。

ツイッターがこんな大震災で

役立つなんてビックリした。



まさに最高の神アプリ(ツール)だと思った。

私はSRNアカウントと別に個人で本名アカウントを持っているので、
すぐに安否確認ができたと思う。
(地震発生後、個人アカウントでは「大丈夫です」とつぶやきました)


その後、自宅近くのスーパー「サミット」で万が一に備えて、防災用グッズとして

水や食料(カップラーメン、即席めん)を大量に買った。

ちなみに、元々、私はカセットコンロで料理をしていたので、
カセットボンベを常に備蓄しておりました。

買い物終了後、やっと自宅に着きました。


自宅に着いて、案の定、本棚が雪崩れ状態。テレビは床に落ちてました。

ノートパソコンが本棚とぶつかり、一部破損。


とりあえず、今後も余震が起きる可能性があると判断し、

本棚を緊急退避させました。

( なお、現在、以前のような状態に戻してません。また大きな余震がくると思ってますので、
  とりあえず1週間は一時避難状態にしておきます )


その後、テレビやツイッターを見ながら状況を監視し、その日は寝ました。


今、思えば、150年ぶりの大震災を経験できて、本当に良かった。


今回は阪神大震災のような直下型地震を体験していないのですが、
ほぼそれに近い体験ができて、今後の人生に大きく役立つ転機だったと思います。



そして本日、今日。

地震の被害が明るみになってきました。


まず津波被害。


こりゃ、本当にスゴイ。

教訓:絶対、海の近くに住まない。

実は実家も海の近くではない。

そして、今、住んでいる私も海の近くではない(豊島区)


次に起きたのが福島原発のメルトダウン問題。

これが一番の心配。


なにせ放射能は目に見えないので。


それにしても日本の原発レベルは世界最高であったのにも関わらず、

さすが40年前に作られた原発だけあって、結局、冷却不能などいろいろと問題があったわけだ。

福島第二原発も不安ですが、第二原発は80年代製。

第一原発は70年代製。

この10年は大きい。技術の差がね。


今回の事故で、福島県大熊町、双葉町、富岡周辺は永遠に立ち入り禁止区域になった。

たぶん、私が生きている間、二度と足を踏み入れることができないであろう。

常磐線も終わり。


22世紀までに復旧するのかわからない。




私は期待してる。


東日本が復興し、



仙台まで行けることを。



JAPANパワーを信じてる。



私は絶対に


日本は



復活できると信じている。




がんばろう、日本!


がんばろう、仙台!


がんばろう、福島!


がんばろう、岩手!


やっぱり日本が一番。



海外に


逃亡するなんて嫌じゃーーー。





絶対、日本は復興する。





一時的に、


日本株が暴落してもいい。




でも、



必ず




日本は復活するんじゃい!



これは


第二の復興である!!!



明日、




どうなるかわからないが、




これが私の遺言である。



死んでも悔いはない。


日本は必ず復興する。




西日本の皆様、



あなたたちの力で日本を、




世界へ羽ばたかせてください。




ありがとう。


そして家族へありがとう。


大好きな子へありがとう。


一番、愛しているあなたへ、


今、逢いにいきます。







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